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今にして思えば。
おれは最初からおかしかったんだとおもう。
おれもおかしかった。そして、おれを取り巻くものもおかしかった。それこそ魔球を発現した前からだ。

物心ついたときにおれのそばにいたのは、血のつながった父親と母親ではなく、三人の養父だった。
昔はそれが作り物の中でもそうそうないものだっていうのはわからなかった。幼稚園にも保育園にも行っていなかったし、同じくらいの歳の別の子を誰か知っているわけでもなかった。おれのおもちゃはトレーニング機器で、遊び場所は庭と、機器が転がっている部屋の中だった。絵本だとか紙芝居だとかを自宅の中で見た覚えはない。小学校に上がってから初めて知ったものがどれだけ多かったことか。
今でも少し理解できていないところは多いが、大体の家では父親と母親がいるものだし、そうでないとしてもそのどちらかはいるものらしい。縁もゆかりもない、しかも三人の男親がいるなんていうのは児童養護施設なら無くはないとか、そしてそれは普通じゃないとか。
色々と言われたことはあったが、会えもしない両親に焦がれるようなこころをしていなかった自分をありがたく思う。普通はたとえ顔を知らなかろうが親に焦がれるものだとか言われてなおさら奇異の目を向けられたことが無かったわけではないが。

成長して少しずつ集団というものに触れる機会が増えたおれは、さらにたくさんの「自分が異常事態に置かれている」という認識を知っていった。
曰く、普通の子供は危険物を使った鍛錬をしない。おれの家に遊びに行きたいといってくれた子を招いたとき、ちょうど丸ノコの刃が付いたランニングマシーンを持っていた父さんと出くわしてしまい、危うく通報されるところだった。虐待スレスレどころかアウトだとかなんだか言われたが、一応今は落ち着けている、と思う。別に怪我をしないようになんて意識すればできるし、あれは改良版がいまだに現役だけど。
曰く、普通の子供は家に帰ったら勉強をしろとどやされる。どやされるところか勉強なんてしてる暇があるのなら特訓しろと言われるのがいつもなので、正直その話を聞いたときはうらやましくなった。父さんたちはおれが勉強に時間を使うことを疎ましがっている節がある。その分だけ期待をしてくれているということなのだろうが……。おれがもうすこし出来損ないだったらこんなこともなかったんだろうか。三人もの目を盗みながら宿題をするのも大変なんだ。
曰く、普通の子供は遊びたがる。あるいは、自分のしたいことをする。確かに昼休みや放課後になると男子は校庭へと繰り出すし、女子はなにか流行っているらしいものの話をする。あくまで傾向なので、ゲームやテレビの話やら絵を描くやら多少のばらつきはあれど、だいたいは本人の望むことだろう。他人に合わせることはあれど。そう考えればなにをするでもないおれは変なのだろう。そもそもそういうことをする気はあまり起きない。どこかおれがやっていいものでない気すらする。
曰く、普通の子供は子供らしい。子供なのだから何を当たり前のことを、と思ったものだけど、どうやらおれはそうではないらしい。生活に困っているわけでも本人が望まない環境に置かれているわけでもないのに、あまりにも「子供らしくない思考と行動」をするのだとか。そうは言ってもおれはこれがおれ自身なのだと思うし、多分世間一般が言う普通の家庭に生まれたとしてもこうなっているのだと思う。わからないけど、きっとそうだ。

そんな、客観的に見た自分の像を認識してもなお、おれはおれであり続けた。
全てがおれの意思で臨むことだったとは言わない。だけど、それを何を犠牲にしてでも拒むような気はなかった。ないものに憧れることはまあ、多少はあったが。
その他諸々の細かいことは全部置いておくとして、もうひとつ、恐らく普通ではないものが、おれにはあった。
三宮ナツメという、はるかに年上で、しかし父さんたちよりも若い、ありていにいえばそうそう縁がなさそうな人間と知り合い、親交を持ったことだ。
たくさん、たくさんの普通でないことの上に立っているおれにとって、多分、一番おかしいのは、これなんじゃないかとも思う。

あの時のおれは(もしかしたら今でも)他人というものに興味がなかったように思う。向こうから見ればおれが浮いて見えても、おれにとっては姿かたちが違おうがだいたいみんな同じに見えていた。夜に窓の外を覗くようなものだった。別に個人を認識しようがしまいが変わらないと思っていた。必要な時には個性ではなく記号で判断するようにしていた。それで事足りていたから。

最初はナツメもその中のひとりだった。珍しく大人で、かつ比較的好意を持って干渉してきたので少し不思議だなとは思っていた。よくわからない家の不愛想な子供であるおれは、普通の人にとっては扱いづらく、猫なで声で御そうとするやつがいればまだいい方だった。笑顔で丁寧に寄ってきた誘拐犯は一度締め上げたことがあるけど、それとはまた違うものだとなんとなく勘でわかっていたように思う。
大人というには頼りなく、未熟だというのがおれからしてみても分かり、しかし、こちらを庇護するような……親愛と呼ぶような愛情を向けてきた、父さん以外の唯一の人物。
いや、父さんたちはおれをひとりの「選手」として、初めから見ていた。家族としての愛情はあったけど、ナツメのそれはずっとあまったるくて、ぬるくて、優しい情だった。
どうしたらいいかわからなかった。そんな目で見る人はいなかったから。何度かは逃げていたような気もする。それでも変わらないでいてくれた。何度目であろうと。

布団の中でこっそり教科書を読んでいることがバレた夜、叱る声を浴びながら窓から飛び出したことを覚えている。パジャマに教科書を抱えて夜の町へと飛び出した。すぐに謝れば簡単に解決したのだろうが、その日はどうしても翌日の授業のために予習をしておきたかった。だけど、電灯の明かりで本を読むことは必要以上のストレスがかかった。追手くらいなら撒く自信はあったけど、いつまでも逃げる訳にもいかない。でもそのまま家に帰ることもしたくなかった。
そんな時に偶然……本当に偶然に、ナツメに会った。本気を出せば気配を感じて避けられていただろうに、もしかしたら無意識で会いたいと思っていたのかもしれない。
着の身着のままなおれを見て、慌てまくるナツメをなんとか説得して、多少無理矢理だったけども一晩だけ家に上がらせてもらった。次の日が土曜日で本当に良かったと思う。平日だったらさすがに戻らなきゃいけないところだったから。
本当は寝なきゃいけないのは分かっていたけど、ちょっとだけ一緒に教科書を見ながら勉強を教えてもらったときは楽しかった。授業とは違う目線で語られる言葉はとても面白かったし、あのまま夜を明かしたいとすらよぎっていたように思う。しっかり寝かされた上に日が昇ってからちゃんと家に帰されたけど、 ぎゃーぎゃーいわれたし、しばらく特訓の量は増えたけど、ささやかな夜の勉強の時間を思い出せばなんだろうと苦にもなりはしなかった。
思えばその時には生まれてこの方はじめての、他人への個人的な好意というものを抱いていたのではないのだろうか。言葉にするのならばなつくという表現が一番合っているのかもしれない。他のものを知らないだけとも言う。
視界に入るとなんとなく嬉しくなり、義務的にでも、作業的にでもなくあいさつを、言葉を交わしたくなる誰かなんていうのは今までに見たことがなかった。
と、いう感情が伝わっていたのかどうかは定かではないけども。伝わってるとちょっと照れくさい気もするのでもう少し後に気付いてくれると助かる。


―――そして、なにもかもを全部ふっとばしそうな事件が起きる。おれの、魔球の発現だ。
今でもなんでできるようになったのか分からない。科学でも説明がつかない、延々と調べられ、議論されるおれの力。
あの時からおれの生活は、二度と戻れないほどに決定的におかしくなった。数えられる程度にはいた、友人と言うのが最も近いであろうクラスメイト達との距離は一気に遠くなった。隣の席のやつから見知らぬ生徒、すれ違った覚えのある人まで誰もかもおれを遠巻きにささやくようになった。おれは完全に、普通じゃなくなった。
こういうときに記者だかパパラッチだかから守ってくれる親がいたのはよかったと思う。し、そうでなかったらおれはテレビ局か研究施設にでも監禁されていたのではないだろうか。それでも少しでもおれという情報を得ようと、まるで監視するようにメディアの連中やら野次馬やらがうろうろするようになったのはげんなりせざるを得なかった。気にする気にしないではなく、もはや実害に近かった。おれはおれではなく、「魔球を投げる少年」になった。

おれの名前を呼ぶ人は限りなく少なくなった。外に出ればいつ欲望と好奇心にまみれた手に捕まるかもわからなかったので、これ幸いと父さんたちは滅多に家からおれを出さないようになった。その分だけ特訓の時間が増えるから。助かったのは確かだけど、ほぼ逃げてひきこもっているような状況だった。おれは、何も悪くないのに。……原因があるとしたらおれにしかないんだろうけど。おれがおかしいんだから。でも、それはおれが望んでやったわけじゃない、のに。
世界は狭まった、それでも生きてはいける。それを受け入れることも、できた。だが、どうしても外に出なければいけないとき、出てしまったとき、全身に突き刺さるのは興味と、値踏みと、軽蔑と……あらゆる悪意がごちゃまぜになったものを含んだ白い目と、わけのわからないモノに対する恐怖の視線だ。炎を出せる人間なんている訳がない、そんなことくらいは知っている。恐れることは当然の反応なのだろう。おれを知っている人も知らない人も少なからずおれを恐れた。おれは、それに恐れていた。おれは気づいていなかったけど。
互いに離れていくものだから、どんどん距離は開いていく。おれをおれとして認識する人が消えていく。人間から反目したおれは、おれですらなくなりかけていた。


なのに。
たったひとりだけ、変わりなく、おれを「シュウ」と呼ぶひとがいた。
「シュウ」として、接してくれるひとがいた。


どうしてなんだろう。おれがどういうものになってしまったのか、何も知らないわけでもないだろうに。今でも本当のところを聞くのが少し怖い、と思ってしまう。……きっと、きっとナツメのことだから、なんにも考えてないんだし、これも無駄な心配なんだろうけど。
おれの手の届くところから無くなった「普通」のぶんだけ、ナツメはたのしいことをたくさんくれた。
誰にも内緒で勉強を教えてもらった。学校の授業に比べたら時間は全然足りてなかったけど、ずっと頭に入るような気がしたし、覚えていくのが楽しかった。
バイクの後ろに乗ってどこかもわからない場所まで行った。近場でも、遠出でも、おれにとってはなにもかもが見知らぬ土地だった。
いろんな新しいものを知った。外の店でものを食べるなんて滅多にしたことが無かった。特に初めて食べたハンバーガーの味は忘れられない。見た感じ食べなれてはいるようだったけど、こんなものに衝撃を受けないなんて普段一体なにを食べているんだろうか、と真剣に考えたことすらある。
父さんたちからしてみれば、それどころか「常識」からしてみても悪いこととか、眉をひそめるようなこともしてきたんだとおもう。
それでもとっても、とっても楽しくて、楽しくて、こんな時がずっと続けばいいという気持ちと、次は何ができるんだろう、と待ちわびる気持ちがぐるぐると胸の中で渦巻いていた。それは魔球なんかよりも熱くて燃え上がる、内側から焼き尽くすような炎だった。きっとそんなにすごいものなんだって気づいていないと思うけど。だってナツメだし。

ナツメは、自分がどれだけすごいことをしているのかを知らないんだと思う。そういう奴だからおれみたいなやつの近くにいられるんだと思うけど。
でも言ってやらない。そんなことに気づいて変になにかが変わってしまうのはいやだし、そうでないにしてもうん、はずかしいから。知らなくていいや。だからずっと知らないままでいい。自分で気づいたら、まあ、その時はその時だ。
こわいようなきもするけど、ちょっとだけわくわくするきもする。
そういう奴だからおれは、すきになったんだと、おもう。
……きづいてないといいなあ!

 

 


今にして思えば。
おれは最初からおかしかったんだと思う。
でも、おれを一番おかしくしたのは、きっとナツメだ。
それを良かったと思うおれは、やっぱりどうしようもなくおかしいんだろう。

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